リスクマネージメント(危機管理)

読み筋を作りそれに従って被害極限処置を取りましょう。
最悪の中の最善を狙う、つまり悲観的に準備し楽観的に処理しましょう。
損失を処理することに失敗しないようにしましょう。

『リスク』神々への反逆
Against The Gods, Peter L. Bernstein

最近読んだこの本の中で「賭けと保険は非常に似ている」という一説がありますので下記にご紹介します。

「なぜ我々の多くは時折『賭け』を行い、又なぜ『保険』に入っているのか?」を問うています。どちらの場合にも、数学上の確立に依れば我々は損失を被ることになっています。ギャンブルの場合には、胴元が我々に与えるオッズが不利になっているから、終始トントン以上というのは実際には可能ではあっても、統計上は期待できません。保険の場合には、我々の払う保険料は家が焼失したり、宝石が盗まれるかもしれない統計的オッズをはるかに上回っています。

ではなぜ我々はこんな不利な誘い乗るのでしょうか。ノーベル経済学賞受賞者アローはリスクについて「賭けをするのは大きな利益を得る低い確率が我々に有利に働くことを祈って、小さい損失をこうむる高い確率を進んで受け入れるからである。」と述べています。しかし大半の人々にとってギャンブルはリスク行為というよりは娯楽です。しかし保険を掛けるのは、火事で家屋を失ったり、寿命を全うする前に死んでしまう、といったリスクを取る余裕がないからです。言い換えれば、「確実に少額な利益を得る(保険を掛けない)とはいえ、不確実だが自分や家族に潜在的な破滅をきたす可能性のあるギャンブルをするよりは、小さな損失(保険料の支払い)の可能性は100%でも、大きな利益のわずかな可能性(大災害が襲った場合)を持つギャンブルを好むということである。」と結論しています。

しかし此処で気を付けなくてはならないことは費用対効果ということです。あまりにも厚い補償内容はリスクを総て保険会社に依存することで安心を買うことは出来ても、保険料が高く付きすぎてキャシュフローを圧迫してしまいます。

経費から投資への移行
保険料を、一番簡単に安くする方法は免責(自己負担額)を高く設定することです。補償内容や補償金額を削減してしまっては保険の意味が有りません。したがって今まで保険会社に依存していたリスクを、経済的に最大限許容できる範囲にまで広める (免責額を上げる)ことによって保険料を浮かすことが出来るのです。
しかしこのままでは経費を削減したに過ぎません。そこでこの保険料を安くすることによって浮いた余剰資金を投資に回します。この場合の投資とは少額であれば銀行でも取り扱えるマネーマーケットファンドや投資会社を利用したその高率配当で知れる社債投資等があります。ご存知のように「株式会社」と言う形態には税制上の利点の一つとして、配当金収入は低い税率で課税されるということが有ります。
もし被害が発生したら、この余剰資金からの支払が可能となりますし、もし何も起こらなければキャッシュフローが潤沢となる訳です。
これによって保険はただの経費から投資への移行が可能となる訳です。(勿論『良い保険』に入れば金銭的な投資となるだけでなく、従業員の志気を昂揚する相乗効果を生む投資ともなりえます。この話はまた別の機会に譲る事とします。)

「能力不足を理由とする解雇」を雇用権の乱用と判決:
能力不足を利用としてB社を解雇された元社員はその解雇の効力を争っているが、このほど社員としての地位確認と賃金の仮払いを求める仮処分を申請した。裁判所は「D社は教育指導を続けて元社員の労働能力を上げる余地も残っているのにそれを怠っている」と判事し、解雇権の乱用を認め、毎月2700ドルを支払うように命じる決定をした。

健康保険と損害保険
一般的に、誰も直接的にその責任と金銭的損失を伴わない損害保険の免責を高く設定することは比較的容易にできても、福利厚生の大部分を占める健康保険の免責設定を変更する事は、従業員からは友好的に受け入れられません。
HRの担当者も自分の首をしめるような行為はなかなか積極的に出来ないものです。しかしだからこそ、此処にこそ「多額な死に金が眠っている」のです。

未だに10年一昔前のような健康保険にお入りではありませんか。免責額$100から$500、免責支払後の共同保険支払率90%などと言う「金鉱」のような補償内容をもつ保険にお入りなら今すぐご相談ください。それを許容しているブローカー・代理店も顧客様の厳しい経理情況を推測しながら見ぬフリをしている「たけしの座頭市」のような者(実は眼が見えていた)です。
続きは面談の席で・・・。